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🌐ニュータイプ覚醒塾

ニュータイプ覚醒論 第62章

思考停止な社会模様



席譲りは「思いやり」ではなく「反射行動」

都営バスを利用していると、やたらと席を譲る光景に出くわす。
このことは別記事「ニュータイプ覚醒論・第59章」でも触れたが、本章では別の角度から論じてみたい☕


私の体感では、都営バスは電車よりも高齢者や障害のある人の利用が多い。
そういった人が乗ってくると、車内の空気は一気に変わる。近くの乗客は機械的に席を譲り、譲られた側もまた流れのまま座る。そこにあるのは個別の状況を見た配慮ではなく、空気に押し出された反応である。

この光景は日本の公共交通、とりわけバスで日常的に見られる。だが、この「席譲り」は本当に思いやりから出ているのか。多くの場合、それは思いやりではなく、空気と記号に引きずられた反射行動にすぎない。
つまり、心そこにあらず‥だ❌

例えば私の母は78歳だが若々しく、これまで一度も席を譲られたことがないという。
また、ドラマ『相棒』の杉下右京のような人物も、おそらく譲ってはもらえないだろう。演じる水谷豊氏もすでに73歳だが、スーツを着こなし、姿勢がよく、凛として見えるからだ。
一方で、49歳の私が年寄りめいた所作をすれば、席を譲られる可能性は高い。というのも、健康なのに老けて見えるというだけで席を譲られた40代の知人もいるからだ😓

ここで見られているのは「困っている人」ではなく、「高齢に見えるかどうか」という記号にすぎないのである。


🚌優先席に漂う重い空気



日本の優先席制度には、現場で「空気」を増幅させやすい構造が最初から埋め込まれている。とりわけバスは車内がコンパクトで、乗降の動線も近く、前方の列すべてが優先席としてまとまっている車両も多い。だから、席をめぐるやり取りが起きた瞬間、それは当事者だけの問題にとどまらず、周囲の乗客全体を巻き込む出来事になりやすい。

日本民営鉄道協会の「マナーアンケート(駅と電車内の迷惑行為ランキング)」でも、「優先席のマナー」は11位(9.9%)に入っている。順位だけを見れば突出して高いわけではないが、優先席の問題が示しているのは、大きな揉め事の多さよりも、「譲る/譲らない」「声をかける/かけない」をめぐる沈黙や気まずさが、日常の中に薄く残り続けているということだ。

しかも、譲る側の意思そのものが低いわけでもない。国土交通省のインターネットモニター調査では、優先席に座っている人のうち、高齢者や障害者、妊産婦、けが人など必要とする人が近くにいた場合に、「よく譲る」が58.6%、「ときどき譲る」が25.4%で、合わせて84.0%に達している。


それでも現場の気まずさが消えないのは、問題が単純な善悪ではないからだ。相手の事情は外見だけでは分からず、声をかける側も、受ける側も、その場で何が正解なのかを「空気」から探ろうとしてしまう。ここに、世代や立場の違いによる温度差も重なり、優先席は配慮の場であると同時に、反射的な振る舞いを促す場にもなっている。

この点‥欧米はともかく、アジアの中では、日本だけが特別というわけではない。
韓国や台湾、シンガポールなどでも、優先席にあたる仕組みは広く制度化されている。 ただ、日本の特徴は制度の有無そのものより、車内の「空気」と強く結びつきやすいことにある。
韓国のように対象者以外が座りにくいほど席の性格が固定化されている社会とも、
台湾のように道徳的圧力そのものが公然と争点になりやすい社会とも少し異なり、
日本では「空いていれば座ってよい」という建前と、「本当は座らないほうが無難だ」という空気が同時に走る。
そうした二重性が、譲る側にも譲られる側にも、判断より先に反射を促しているのである。


🚫優先席が奪う座る自由



この構造が生み出すのは、若者をはじめ他の世代が周囲の視線を気にして萎縮し、高齢者もまた申し訳なさそうに座らざるを得ない空気である。

内閣府の「公共交通機関利用時の配慮に関する世論調査」でも、優先席に座っているとき、必要とする人が近くにいれば席を「譲ろうと思う」と答えた人は72.0%に達している。
だが同じ調査では、「譲ることが相手に失礼になる可能性がある」46.4%、「体調不良やけがで優先席を必要としている場合」34.7%、「声をかけるのが恥ずかしい場合」26.9%など、実行をためらわせる心理的障壁もはっきり出ている。



実際、私は空いている優先席に浅く腰掛け、申し訳なさそうにしていた20代の女性を見たことがある。彼女は周囲の視線を気にし、車内が混み始めると、誰かに求められたわけでもないのに慌てて席を立って離れた。そこにあったのは必要の有無を見極めた判断ではなく、優先席に座り続けること自体への居心地の悪さだった。
やがて車内が落ち着くと、彼女は一般席へ移って座り直した。つまり問題は座ることではなく、優先席に座ることだけが心理的負担になっていた点にある。
後で触れるが、バスの前寄りはほぼ全てが優先席である事実。これが高齢者に配慮し過ぎた‥大きな欠陥的問題なのだ🚧

失われているのは座席ではなく、座っているだけで言い訳を求められない自由。
誰も幸せになっていない「空気の構造」が、優先席という制度設計と相まって形成されているのである。

🚩空気と日本人の思考停止

評論家の山本七平は『空気の研究』で、日本社会では理屈やデータより、その場の「空気」が判断を左右してしまうことがあると述べた。要するに、人は正しさよりも、その場の流れに従ってしまいやすいということだ。
この「空気」とは、合理性よりその場の調和を優先させる同調圧力である。一見円滑に見えても、全体としては判断をゆがめる。
社会心理学者ソロモン・アッシュは、集団の圧力が個人の判断をどれほど揺らすかを示した同調実験で知られている。彼の実験でも、人は周囲が同じ答えを出すと、明らかにおかしいと分かっていてもそれに引っぱられやすいことが示されている。人は「みんながそうしている」というだけで判断をずらされるのだ。

席譲りでも同じことが起きる。
「高齢に見える人には譲るべき」という空気ができると、一人ひとりの様子をちゃんと見る前に、反射的に動いてしまう。人は相手を見て判断しているようでいて、実際にはその場の空気や集団のルールに従っているだけ、という場面がかなり多いのである。


🗨思考停止と空気への依存



ここで明確にしておきたいのは、批判の対象が高齢者ではないということだ。
問題なのは、他者を具体的な人間として見るのではなく、「高齢者らしさ」や「困っていそうな見た目」といった記号に置き換える思考停止であり、それを当然の作法として支える構造である。その結果として高齢者が悪者のように見えてしまうのだとしても、斬るべきは人ではなく構造のほうだ。

バスでは高齢者の利用が多いとはいえ、実際の利用者は老若男女にまたがる。それにもかかわらず、前方がほぼ優先席、一般席は後方に偏る車両では、座席配置そのものが不均衡を生む。若者は座るだけで後ろめたさを背負わされ、子連れや中年層も居場所を探しにくい。後方は混雑しやすく、降車もしづらい。結果として前方は特定の層の空間であるかのように見え、構造そのものが「特定の層を優遇しているように見える空気」を作り出してしまう。斬るべきは、この歪んだ構造と、それを当然の作法として受け入れる思考停止である。

席譲りは本来、相手を観察し、必要なら声をかけるという個別判断の行為である。だが現状では、その倫理が制度と空気によって儀式化され、「誰に、なぜ、どう譲るのか」を考える前に記号へ反応するだけの反射へ変質している。

日本の「空気を読む」文化は、同調のメカニズムと深く結びついている。集団から外れることへの心理的負担が強いほど、人は自分の判断よりその場の流れを優先しやすくなる。そこに「出る杭は打たれる」という感覚や、幼い頃から「みんなと同じ」であることを求められやすい教育・習慣が重なり、空気への同調は日常の作法として内面化される。席譲りの反射化は、その縮図である。

日本社会では、そこに「出る杭は打たれる」という感覚や、幼い頃から「みんなと同じ」であることを求められやすい教育・習慣が重なり、空気への同調が日常の作法として内面化されやすい。席譲りの反射化もまた、その延長線上にある。


💌社会への3つの転換



では、どうすればこの思考停止から抜け出せるのか。

第一に、
外見や属性の記号ではなく、個々の状態を見る社会への転換が必要だ。
内部障害や難病、妊娠初期、強い疲労や体調不良のように、必要はあっても外からは分かりにくい事情はいくらでもある。にもかかわらず現場では、誰が座るべきかが見た目の分かりやすさで処理され、そこから外れる人は説明を強いられたり、不当な視線やハラスメントにさらされたりする。
問題は、優先されるべき人をさらに明確に囲い込めば済むことではない。対象の明確化が進むほど、『その記号に見えるかどうか』で人をふるいにかける別の硬直が生まれ、個別の事情より先に制度や空気で判断する癖が強まるからだ。
必要なのは『誰を特別扱いするか』の精度を上げることではなく、見た目や年齢に反射せず、その場の具体的な状態を見て判断する感覚を取り戻すことである。

第二に、
空気ではなく観察と判断ができる社会への転換が求められる。
国土交通省の概要では、優先席に座っているとき、必要とする人が近くにいれば席を「譲ろうと思う」と答えた人が約72%に達している一方で、内閣府の調査概要では、「譲ることが相手に失礼になる可能性がある」46.4%、「体調不良やけがで優先席を必要としている場合」34.7%、「声をかけるのが恥ずかしい場合」26.9%がためらいの理由として挙がっている。
つまり欠けているのは善意ではなく、相手を記号ではなく具体的な状態として見て、必要なら声をかけ、不要なら介入しすぎない観察力と判断力である。
日本の問題は、その判断に入る前に、車内の空気が『こう振る舞うべきだ』という反射を先回りさせてしまうことにある。必要なのは道徳の上塗りではなく、空気から少し距離を取り、相手の様子を見て考える余白を取り戻すことだ。

第三に、
若者も高齢者も過剰な役割を背負わされずに済む公共空間への転換である。若者は『座っているだけで疑われる側』、高齢者は『座らせてもらう側でなければならない人』として、制度と空気の中で役割化されている。
しかし本来、公共交通機関の利用者はまず一人ひとりの乗客であり、年齢や見た目で先に物語を割り振られるべきではない。若者が座るだけで後ろめたさを背負わされず、高齢者が座るたびに申し訳なさを引き受けさせられない空間になってはじめて、席譲りは儀式ではなく、その場の相手への具体的な配慮になる。
目指すべきなのは、誰かを一方的に優遇して見せる空間ではなく、誰もが記号に閉じ込められずにいられる公共空間である。

本当に危ういのは、善意の欠如ではない。善意が思考停止へ変わり、それが配慮として称賛されてしまうことだ。
必要なのは、空気に従って反射することではなく、相手を見て考え、必要なら譲り、不要なら座るという、ごく当たり前の判断を公共空間に取り戻すことである。



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日付: 

ニュータイプ覚醒論 第17章

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