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🌐ニュータイプ覚醒塾

バリスタのよもやま話 第67話

唾を飛ばす解説者



長年サッカー中継を見ていて、ずっと引っかかっていることがあります。
それは試合そのものではなく、解説者の発する言葉なんですけどね🤔

サッカーは、ボールだけを見ていればいい競技ではありません。守備のズレ、選手の駆け引き、監督の修正は、ボールのない場所で同時進行しています。
だからこそ解説者には、視聴者が気づきにくい、あるいは見落としやすい構造を言語化して示す役割があるわけです。

ところが、日本でサッカー中継(W杯やEURO)を見ていると、解説者の発言が「解説」ではなく「感想」に寄りすぎています。体感では、発言の大半が感想・リアクションなんですよ。そこに個人的感情から内輪話まで入ってくると、解説ではなく試合を見ながらの雑談と言った方が正しいんです😓

今回私が言いたいのは、肩書が「解説者」なら、その発言の中心は解説であるべきではないか、という話です。
感想ばかりなら、しっかり解説をしてくれって話なんです💨


🍺解説者の感想節



攻められなくなってきてますね
今のは決めたかったですね~
このスピードは怖いですよね~
堅実なプレイですね

ほんの一例ですが、これらは解説ではありません。感想です💦
この程度の反応なら、試合を見ている一般の視聴者でも普通に言えます。リビングでビールでも飲みながら誰でも言える言葉なんですよ😓

解説者は何のために呼ばれ、解説席に座っているの?感想を言うならゲストで足ります。感想ばかり並べるなら、それは職業としての解説ではなく、声だけグリーン車の視聴者に過ぎませんよ。

解説とは本来、見えにくい構造を説明する仕事です。

なぜ攻撃が成功したのか。
どこで守備が崩れたのか。
監督は何を修正しようとしているのか。
次にどんな展開が起こりそうなのか。

これらを解くこと・説くこと
それが解説です。

🗣️「〜ね」に吸収される解説

感想以上にツッコミを入れたいのが解説者の口調。サッカー解説を聞いていると、体感では99%近くのコメントが「〜ね」で終わっています。

中盤が空いていますね
プレスの位置が下がっていますね
守備の距離感が悪いですね

「〜ね」は柔らかさが出ます。共感も生まれます。しかし問題は、それが解説全体を覆い、分析の言葉まで同意確認に変えてしまうことなのですよ。

分析らしい内容まで含め、ありとあらゆる事までほぼすべて「〜ね」に回収される現状。

これでは解説ではなく、実況との会話です🍵🍘

解説者の言葉であれば、本来は断定、推論、分析、予測、因果説明がもっと自然に出ていいはずです。「この交代は守備強度を上げる狙いです」「原因はボランチの立ち位置です」「このままだと逆サイドを使われます」。こういう感じです。

解説者に求められているのは、視聴者と一緒に頷くことではなく、視聴者には見えにくい現象を説明することです。だから私は、この「〜ね」の多さを単なる口癖ではなく、感想とはまた違う次元での「解説の放棄」だと言えるのです。

サッカーに限らず、どのスポーツも概ね同じですが、とにかくサッカーは目立ちます。

🎙️ゲストなら感想でいいが‥

感想そのものはあっていいんです。例えばゲストなら感想でいい。

今のは凄かった!
やはりメッシは凄いですね!

そうした言葉には、視聴者と同じ目線で番組(中継)を盛り上げる役割があります。実際、愉しく観戦できる人も多いでしょう。

しかし、解説者として座っているなら話は全く別です✋️
感想が少し混じるのは自然でも、感想が主で解説が従になっているなら、それは解説者ではなく、ただの観客‥いやハッキリ言えばノイズですよ。

解説者に求められることは、ピッチ上で何が起きているのかを実況とは別の視点で語ることなのですよ。

🧩内輪話より試合のことを話せ!

日本の解説者にホント多いのですが、内輪話や昔話も余計です。それはそれこそ内輪でやって頂きたい。公共の電波を使うな!

そういったエピソード自体は、試合理解を深めることもたまにありますが、まずほとんどがノイズです。言うなれば、飲食店その他における店員の私語に相当するものですよ。

試合が動いている最中にまず知りたいのは、(繰り返しますが)ピッチ上で何が起きているのかです。どちらのサイドで優位ができているのか。相手の守備はどこを切っているのか。なぜ急に押し込まれ始めたのか。そこで関係の薄い話が始まると、相手のアンカー脇が空いているかもしれないのに、こちらの耳には昔話が流れている。いや、その話はハーフタイムでお願いします。

実際くだらない与太話の最中に試合が動いたことを、私は何度も目にしています。

ここまで来ると、問題は単なる話し方や雑談の量ではありません。解説席に座る人が、視聴者に何を提供する職業なのかという話になります。

そう考えると、次に問うべきは「元選手かどうか」ではなく、その人が解説席で語るだけの理由を持っているかどうかです。

🌍肩書よりも語れる理由

私は「元選手だから良い・悪い」と言うつもりはありません。問題にしているのは肩書ではなく、その肩書に見合う中身があるかどうかです。世界の舞台で戦った人の感覚には、一次情報としての価値があります。

例えば本田圭佑氏のように世界の舞台で戦った経験を持つ人なら、その感覚や経験談には価値があります。解説者然とした整った言葉遣いではなくても、観ている者を楽しませているのですから、解説者として及第点です。

バレーボールで言えば、栗原恵氏のように世界と戦った人の言葉にも同じ価値があります。競技は違っても、世界の圧力、勝負どころ、トップレベルの空気を知る人の言葉には重みがあります。

一方で、水沼貴史氏のようにW杯や世界レベルでの経験がなくても、長年解説を積み上げてきた人には説得力(聴かせる力)があります。大舞台の当事者経験がある人、または解説という仕事を長く磨いてきた人。どちらかがあるなら、聞く価値はあります。

違和感を覚えるのは、そのどちらも十分ではない人が、感想中心で解説席に座っている場合です。世界トップレベルの経験も、解説者としての蓄積も見えない。それで出てくる言葉が「惜しかったですね」「いいですね」中心なら、視聴者としては首をかしげます。

例えばドイツなどでは、大舞台の解説席には世界的実績や十分な専門性がある人物が配置されることがほとんどです。最近はシュバインシュタイガー氏がよく知られており、少なくとも「元選手です」という肩書だけで、すべてが通る空気ではありません。日本ではこの「元サッカー選手」という肩書だけが一人歩きしているように見えることがあります。


🔍解説の本質



解説者に必要なのは、試合を読み、構造をつかみ、視聴者に分かる言葉で説明する能力です。元選手という肩書ではなく仕事の中身ですよ。

もし本当に解説能力があるなら、必ずしも元選手である必要はありません。一般人でもサッカーにやたらと詳しい人はごまんといます。そんな彼らが解説者の準備をして臨めば、的確に言語化してくれるだろうと私は確信します。

「元選手だが感想ばかり」と「一般人だが解説が上手」なら、解説者として仕事をしているのは後者です。肩書への下剋上と言えるでしょう。しかし仕事内容を見れば、そう判断するしかないのですから。

🏁解説者なら解説をしろ

結論はシンプルです。
解説者なら、解説をしてください👍️

感想を述べるなら、ゲストでいい。応援コメントをするなら、応援席でいい。内輪話をするなら居酒屋やご自宅でお願いします。

繰り返しますが、試合中に求めているのは、ピッチ上で何が起きているのかの説明です。誰がどこを狙い、どこにズレが生まれ、なぜ流れが変わり、次に何が起こりそうなのか。それを聞きたいのです。

超高度な戦術論を90分間しゃべり続けろと言っているのではないです。専門用語で視聴者を置き去りにされても困りますからね。ただ、解説者という肩書でその場に座っているなら、解説という仕事をしてください。

お疲れ様でした☕



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