なぜ他人を嫌悪するのか?
オールドタイプ‥すなわち多くの日本人は、
他人も自分と同じように考えていると思っている。
なぜならば、
自分の考えは常識的で正しい
そう思っているからだ。
だから、
人は自分と考えの違う者を嫌う
人は自分に共感しない者を嫌う
自分の考えと違う者は「変だ!・おかしい!」
そう思うからである。
😒自分と考えが違う者は悪!
相手の考えが自分と違うことがわかると、その相手を悪として忌み嫌う。
その場は大人の顔をして取り繕っても、内心穏やかではない。
だから自分と同じであろう仲間を見つけては、自分たちの正当性に浸って安心するのである。
そして必要とあらば、
いよいよもって本格的に他者(考えの違う人)を敵視し攻撃する。
じつに陰険・陰湿で、野蛮な愚行である。
しかしこれは日本人が得意中の得意にしているものであり、島国ジャパンらしいお家芸と言ってもいいものだ。
ネット上でもよく見られる光景だから、実感できる人も多いだろう。
そしてこの変化形こそ‥愚の骨頂「いじめ」なのである。
😦自分は正しい 同調しない者は敵!
自分は正しい。これはある種、人の性(サガ)であるからいいとしよう。
しかし問題なのは、
(自分は正しいから)相手には共感・賛同されて当然であり、否定されることなどあろうはずがない。
そう思っていることである。
自分に自信のある人は多くないが、自分の考えに自信満々な人は多い。
繰り返すが、自分の考えは常識的だから正しいと思っているためである。
それゆえ、人にモノを聞かない。
家庭然りビジネスでも多く存在するので、イメージできる人も多いのではないだろうか?聞かないで(確認しないで)行動する人が。
これぞオールドタイプの特徴のひとつ「人に聞かない」である。
だから、
他人とコミュニケーションをとらない。
これこそ、オールドタイプ最大級の弊害なのである。
人へのアクション(敬意)を無くしても、初めのうちはまだいいだろう。
しかしコミュニケーションをとらないことは他者への嫌悪を生む。
なぜなら他者の存在は無いに等しく、無意識に自己の増長につながってしまうからだ。自分しか見ていないから他者に目がいかない。
当然、そんな人間に周囲が好意的であるはずがない。
すると当人はおもしろくないわけで、周囲を嫌悪するようになる。
コミュニケーションをとらないと、
↓ ↓ ↓
相手のことがわからない。
↓ ↓ ↓
わからないから猜疑心が生まれ、信じない。
↓ ↓ ↓
信じないから疑い、嫌悪し、敵視する。
そして最悪の場合、個人紛争や国同士の戦争につながってしまうのだ。
事実、相手が自分と違う考えを持っていると知った時、人は怒りを感じ失望する。
もっとも日本人の場合、激高することはほとんどないが、静かに怒りを秘め、相手を嫌悪し距離を置くようになる。大小あれど、迫害することも決して少なくない。
日常ならシカト~いじめ、ビジネスなら取引拒否などが代表例だろう。
とりわけ日本人がこういった行動に出るのは、自尊心が高いために否定されたくないからである。
考えが違うということは否定につながる。日本人にとって否定されることはとんでもなく大事(おおごと)なのだ。
コミュニケーションをとらないのは、否定されたくない気持ちが隠れている。
これらは後々改めてお話しする。
😔他者はすべて違う存在 同じ人間はいない
これをしっかりと理解すべきである。
夫婦や恋人、親友はもちろん、血を分けた親子ですら自分とは違う。
そもそも犬や猫だって個性があり、一匹一匹まるで違うのだ。
しかし、島国根性に支配され "右へ倣え" の社会主義思想で生きてきた日本人にとって、これはなかなか気づきにくいことなのだろう。
ただ、
違うからこそ、相手に意識を向けてみてほしい。
意識を向けると、相手の個性や魅力がわかるものだ。
だから好きになったり、愛すべき存在となったり、敬い、大切に想うのではないか。
その手段としてのコミュニケーションは、人間にとって極めて重要なものだ。
コミュニケーションがしっかりとれていれば、人間関係はいつも良好になる。
そして多種多様な個性が磨かれ合って輝くから、素晴らしい人間社会が、国ができるのだ。
例え嫌いな相手であっても、同じ時代に生を受けた存在であることに変わりはない。
自分にとって嫌いな相手というのは、意味があるから存在する。
嫌いな相手だからこそ、学べることは多い。嫌いな相手はしばしば素晴らしい反面教師にもなってくれるからだ。
仲良くする必要はないが、最低限の敬意は持って接して頂きたい。
敬意のある関わり方なら、嫌いな相手でも不愉快なことは少ないはずだ。
この敬意というのは、
ある意味‥好意と敵意を仲介するようなものだと理解してほしい。
そしてひとつ、
そんな他者がいるからこそ・・自分自身の存在価値があるのだ。
😉人は皆違う 違うからこそ
人は皆違う。誰一人として同じ人間はいない。
これさえ理解していれば、他人に対する不愉快な感情は一気に減るだろう。
先述したように、他人という違う存在があるからこそ自分がまた在る。
他人が自分と同じなら、自分はいなくてもいいのでは?
だから私はよく言うのだ。
この世にたったひとつしかない個性を大切にしましょう!
同じく代わりのいない相手を大切にしましょう!
ありがたいことに私には同志がいてくれるが、それは決してイエスマンではない。
彼らは見据える方向が同じなのであって、細かい個々の考えや価値観は違う。
まさに十人十色。否定なんかザラだ。
しかし・・だからこそ、
そんな彼らの声に耳を傾け、敬意を払い、そして信頼するのだ。
恋をするのはなぜだろう?
相手を知って感じて、
異なる個性に胸が熱くなるから。
相手を知って感じて、
異なる個性に胸が熱くなるから。
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