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🌐ニュータイプ覚醒塾

ニュータイプ覚醒論 第59章

見せかけの譲り合い



最近、電車やバスなど公共の乗り物で、高齢者や障害者に席を譲る光景をよく目にします。
私は(ある理由から)原則‥席を譲らないので、そういった人を見ると感心します。日本人だって捨てたもんじゃないと..✨

そう‥言いたいところですが、
実際にその光景を目にすると、大きな違和感を感じるのが正直なところなのであります。


なぜ違和感を抱くのか?

⇒その行為に心💝温もりを感じないから。


自らすすんで席を譲っているはずなのに、

なぜ、そんなに感情が無いのだろう?
なぜ、そんなに不自然なんだろう?

これが私の率直な感想であり、違和感です。


本章ではこの「温度のない譲り合い」を紐解き深掘りしていきます☕
あなたもぜひ考えてみてください。


🌁恐怖と圧力の行動



私は海の外でそこそこ生きてきた為、日本とは違う人間社会をこの目に焼き付けてきたし、身をもって体験もしてきた。
例えばドイツでは、席の譲り合いはもちろん、他人に手を差し伸べることは日常茶飯事。あちこちで目にすると言っても‥決して言い過ぎではない。
そこには本当に心温まる人と人の触れ合いがあり、見ているこちらの心も温まるのだ💓

しかし一方で、日本だと違和感しかない。

先述したが、日本人は誰もが無表情・無感情で不自然。そこに気持ちを感じないのだ。
それゆえ、席を譲られた側が逆に気を遣っているありさま💦
本当にそんなパターンばかり。

不器用というか無理してるというか、身の丈に合わない事をするとこうなるっていう好例なのですよ😑

🚩静かな恐怖と重圧

日本の譲り合いはなぜ不自然になるのか?
深掘りしてみよう☕


✅善意より圧力

ドイツなど海外では、困っている人に手を差し伸べる事は、呼吸するのと同じくらい自然な日常。そこには笑顔もあり、温かい血の通った人間関係が存在します。

これに対して、日本で目にする光景はどうだろう?
席を譲る側もどこかぎこちなく無表情。受け取る側も恐縮し、かえって気を遣っている。
この見ていて不憫な不自然さの正体は、相手を見て動いているのではなく、親切にすべきという造られたルール(圧力)に従わされたものなのだ。

✅不器用なパフォーマンスとその現状

相手が助けを必要としているかではなく、譲らないと冷たい人だと思われるという自意識が先行しています。
「自分」が主語になっている

だから心からの行動ではなく、記号的なルールをなぞっているだけ。だから動作に「温度」が宿らない。
感情の欠如

精神的な成熟が追いついていないのに、形だけ良いことをしようとするから無理が生じて、空気がギスギスしてしまう。
身の丈に合わない善意

✅無意識の恐怖と思考停止

昨今の日本人は、何が良くて何が悪いかの判断が出来なくなっている。つまり思考停止。そのため、こうすべきだ!というような一定の空気があると、その重圧に負けて動くのである。いわば恐怖による無意識の強要と呼べるものだ。
その結果、心の通わない淡々とした行動となり、不自然な違和感を生む。

🚩日本人思考という障壁

日本人は人の善意を断る文化背景を持っている。いわば謙虚さが変色したものだ。あなたにも心当たりがあることだろう。

この席譲りの事例で言えば、
例えば、どうぞ!と席を譲ろうとする。そうすると相手は高確率でこう言う。
「大丈夫ですよ」と。
すると相手は「いいからいいから!」となり、ようやくその善意を受け入れる。
私からするとなんとも面倒な人間文化習慣だよ😓
しかもこれ、ほとんど形式的にやってるんだからね。だから私はツッコミを入れるわけなのですよ。

こういうのはいわゆる社交辞令の一環と言えるもの。だからこそ、そういう習慣が薄くなっている昨今ゆえに、他人への善意が減り、いざ実行しようものならどこかぎこちなく、結果‥不自然になるのではないか?
そんな問題提起が生まれるのである。

日本人は自分に、そして周囲に正直に生きていない、堂々と。
だからこうなるのではないだろうか?


💖温もりを乗せて



私は近年、交通機関では電車よりバスを多く利用しています。
バスでは思った以上に席を譲る光景を目にする。
動機や心情はどうあれ、その行為は素晴らしい!

中には空気を好転させるくらい温かい人もいる✨

だからその美しい行為を本物にするために申し上げたい。

🚩オママゴトを卒業するために

親切とは、本来もっとフラットで自由なものであるはずです。
今の日本で見られるのは、残念ながら心のふれあいではなく、圧力が垣間見える空疎なパフォーマンス。
「お年寄りだから・ルールだから」と頭で考えるのをやめ、目の前の人間と向き合う勇気を持たない限り、この違和感は消えない。
私たちは、形だけの「おままごと」から卒業し、本当の意味で他人に手を差し伸べる「心の余裕」を学ぶ時期に来ているのは明らかだろう。事実、人々は他者に席を譲っているのだから。

人々の姿勢からもわかるように、行動そのものは難しいものでは決してない。
しかし、真心を伝えるゴールまでの道のりが遠い。
これは日本人の日本人たる性によるためで、主に以下が挙げられる。


✅目立ちたくない

最たるものがコレ。日本人は総じて目立ちたくない。
乗り物内で席を譲ると、その行為自体はいたって自然でも、それとは別に実行者は目立つ。周囲から注目されるのだ。
日本人は基本‥他人や周囲に無関心だが、自分を取り巻く変化には過剰なほど敏感。とりわけ車内という閉鎖的限定空間では、音や気配に過敏になる。
誰かが声を出したり、携帯が鳴ったりするだけでも無意識に反応するのだ。だから席を譲るという「声+動作」は注目の的になってしまう💦
それゆえ、人は善の行為すらぎこちなくなってしまうのである。
目立ちたくないけど行動はしよう。この葛藤が不自然さを生む。

✅善人ぶってると思われたくない

日本は世界屈指の妬み社会である。他人の成功を祝福せず、内心不快感を抱く国民性は、同じく他人の善行をも疎ましく感じるのだ。
この性をわかっているからこそ、他人に手を差し伸べる事に躊躇してしまう。
周囲の目が気になってしまうがゆえに、不自然でぎこちない動作になってしまうのである。

✅善意が仇になったらイヤ

日本人は素直ではない。
例えば誕生日に祝いの言葉をかければ、「祝ってもらうような年齢じゃないから💦」なんて捻くれた謙遜をする国民性だ。
席を譲ろうとしても‥まずは遠慮するのが通常で、人によっては普通に拒否をすることもザラ。こういう背景は同胞として肌で感じ取っているからこそ、積極的になれない心情がある。しかし世の中の空気として、席を譲るべきだという善意のプレッシャーが背中を猛襲するため、本当は気が進まないが行動に移す‥というのが実情である。
それゆえに、不自然でぎこちない冷めた行為になってしまうのだ。


以上が主な背景である🍵

人々がその尊い善意を真に発揮するには、今述べた事を克服すればいい。ただそれだけだ。これは難しい事ではなく、理屈では極めて簡単だ。しかし日本人にはそれこそが大いなる壁であるため、道のりは遠くなってしまう。まさに近くて遠い蛇の道である👉👈

🌟善意を社会に広げよう

善意を届け‥響かせるためにできることは、以下です😊

常日頃から…
  • 恥ずかしがらない
  • 勇気を出す
  • 思い切って立ち上がる(実行・実践する)
  • 世間を、そして他人を怖がらない
  • 自分に自信を持つ

主にこれらを強く意識してください👍

頭では理解している人がほとんどだと思います。それはつまり、ちゃんと本質は捉えているってことなんですよ😀
だからあくまで問題になるのは、心の在り方と行動だけ。

日本人は義務教育を通じて社会に出るまで、
そして社会出てからも、
自主性や自立性を封じられているのです。

だから思うように動けなくて当たり前なんですよ!

でもだからこそ!
私はこのブログ全体で、そのオールドタイプな呪縛から解き放とうとしているのです。

いずれ改めて、そういうテクニックは別途発信しますが、
好転を望む人はぜひ随時、私に声をかけてください。問い合わせフォームよりメールをください!無料でご相談をお受けします😊

個別に対応した方が一律化を回避できて確実なので、最近は各種お悩み解決は個別に対応しております☕


誰かに心を届けるには、
己の心を解放すれば良いのです!


Meister CZ

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