僕は投票童貞

私は(2025年7月時点で)48歳ですが、これまで一度も選挙で投票したことがありません。
それは無関心だからではなく、
むしろ少年時代からずっと選挙結果を見続けてきたからこその判断なのです🤔
仕組みを問い続けてきたからこそ、 私はこう結論づけました。
――「投票には意義はあるが、意味はない」と。
なぜ意味がないのか?
私の票は、選挙に一切何の影響もないから。
私の票は、選挙に一切何の影響もないから。
この画像を見てください⬇
※画像はイメージ
こんな感じで明らかな差がついて結果が出ます。
もちろん実際はこんなものではなく‥もっと圧倒的な差がついて勝敗が決まります。
特に東京都や大規模選挙なら10万~100万単位で差が付くのですからね💦
だから私の票など何の意味も持たないのです。
候補者にしたってそんな状況で1票入ったところで表情は変わりません。口では感謝をするかもしれませんが、虚しいため息です。
もし私が下位の候補に投票していたら当選していた…
そんな展開には絶対にならないのです、絶対に。
⇒1票で戦局は変わらない。変わったら逆に大変だよっ!責任重大😲
だから私の意思は、形式の中で消えてしまう。
この構造に気づいたのは、まだ選挙権のない中学生の頃だった👦
社会が求めるのは「投票という儀式」であって「実感のある選択」ではない。
だから私の意思は、形式の中で消えてしまう。
この構造に気づいたのは、まだ選挙権のない中学生の頃だった👦
社会が求めるのは「投票という儀式」であって「実感のある選択」ではない。
意義とは形式的に正しいこと。
しかし意味とは、自分の行為が実質的に何を生むか。
社会は「意義」を押しつけるが、「意味」を問うことはできない。
社会は「意義」を押しつけるが、「意味」を問うことはできない。
私は“投票しない”ことで問いを立てる。
これは沈黙ではなく、本質的対話の始まりなのだ。
私の票で何かが変わることはない。
しかし、私の問いで何かが揺らぐことはあるかもしれない。
投票率が低ければ、政治家は「国民は政治に関心がない」と捉え、一部の声しか聞かなくなる可能性がある。
逆に、多くの人が投票することで、「俺たちは見ているぞ、ちゃんと考えろよ」という無言のプレッシャーになる。
社会の意識の形成
社会の意識の形成
投票行動は、私たちが社会の一員として「もっと良い社会にしたい」という意思を持っていることの表明となる。それが積み重なることで「社会は変えられる」という希望や、民主主義を支える土台になるのだ。
私の「意義はあっても意味はない」という言葉は、投票の持つ二面性をとてもよく表しているだろう。直接的な結果への影響という「意味」は薄いかもしれない。しかし社会全体への影響や、私たちの意思を示す「意義」は、確かにあると考えてもいる。
私の「意義はあっても意味はない」という言葉は、投票の持つ二面性をとてもよく表しているだろう。直接的な結果への影響という「意味」は薄いかもしれない。しかし社会全体への影響や、私たちの意思を示す「意義」は、確かにあると考えてもいる。
🚩僕は僕なりの
私は投票しないため、それは政治参加をしないことを意味しますが、私は私で、他者とは違う形で社会を良くしようと行動しています💪
そのひとつがこのニュータイプ覚醒塾の活動。そしてブログやYouTube等での発信、そして行政や企業でのセミナー講演です。
また一方で、サービス業従事者を筆頭に、主婦層や学生から日々メール相談を受け、彼らの現状を好転させています。
これらもまた、社会を変える大きな「意義」のある行動だと私は確信するものです。
そして彼らが意味のある投票をすれば、それは私にとってもある種‥意義のある1票と言えないでしょうか?😐
私は、私がすべきことをするだけ。
投票はそれに該当しない。それだけのこと。
投票はそれに該当しない。それだけのこと。
日本を良くしたい。その為に活動する。
この想いは政治家に負けません。
この想いは政治家に負けません。
Meister CZ



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