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🌐ニュータイプ覚醒塾

バリスタのよもやま話 第48話

メディア扇動が生んだ歪んだ社会



この6月のある日、京都市の小学校で‥3年生の児童7人が救急搬送されました🚑
体育の授業でシャトルラン(体力測定)をした影響で、熱中症の疑いがある体調不良とのこと。

京都地方気象台によると、午前11時までの市内の最高気温は午前10時41分の32・1度だったそうです。
一方で、気象庁によると、午前11時半の京都市中京区の気温は33・2度で、その後、最高気温は35・8度に達し、3日連続の猛暑日とのこと。

幸いにも子供たちは意識もしっかりしており、大事には至らなかったそうです。何よりでした🍵

こういった熱中症関連の搬送は昨今よく報道され、この時期の出来事として恒例になってしまいました。背景として、やたらと大々的に報道されるからです📺
※過剰報道について前々回から触れています。


今話で取り挙げるこの事例は、小学校での出来事ゆえに世間の反応は過敏になりがちで、
ニュース記事のコメントに目を向ければ、思ったとおり教育現場への批判が目立ちます。

この事から私は、いくつか問題提起を投げかけます。
  • 責任の所在(悪者は誰?)
  • 原因と対策 現状とこれから
  • 社会の見解と動き

一例ですが、これらは極めて重要で避けることのできない事柄です。
しかし人々は短絡的に感情を訴えるだけで、明日への一歩になるようなものではありません。

前回の最後で「ダメな日本社会」と揶揄しましたが、この児童が搬送された事例がまさにそんなダメな日本の現状を如実に表しているので、ぜひあなたも一緒に考えてみてください☕


👥悪者という人身御供



事例が小学校という点から、責任の所在を一層追及するのはもはやお約束です😓
そこで待ってました!と校長先生のご登場。現場教師からの報告をもとに社交辞令なコメントを発表します。
(担任は絶対にコメントしないよね💦)

その際のコメントがこちらです。

『本来は体育の授業をやるべきではなかったと思います。子どもたちの安心安全を守る学校でありながら、大変危ない目に合わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。再発防止に努めたいと思います。』


しかしこの校長のコメントの後、
教育委員会が以下のコメントを発表しているのがまた興味深い点です。

『運動を中止するレベルではなかった』


ただし、いずれのコメントも媒体によっては端折って伝えており、受け止め方に大きな個人差を生んでしまうのは否めません。※前々回からの関連事例。
上記のコメントも各局編集後の報道なので、あくまで要点であることをご理解願います。
特に教育委員会のコメントは超簡素だからね😓

今回のように、現場と上の見解が真っ向から対立するのには正直驚きました。
その後訂正されたかは定かではありませんが、めずらしい展開なのは確かでしょう。

しかしこうしたコメントが即ニュースとして(ローカルなのに)全国報道され、ニュース記事のコメント欄が盛り上がるのが異様です。
よっぽど暇なのか平和なのか💦

🏮はじまる正義の集団リンチ

このような報道を受けて人々は、常識や正義の名のもとに‥匿名コメントの集団リンチを実行します。

コメントの7割以上は学校や教育制度への批判ですが、純粋に自分自身の考えというよりは、報道が生んだ世間の空気に流された‥浅はかで短絡的なものばかりです。
挙げればキリがないので代表的なものをご紹介すると…
  • わざわざ暑い日に体力測定を実施する必要があったのか
  • 30℃以上になったら体育は中止か内容変更した方がいい
  • 大人と子供の感覚を同じと見てはいけない
  • もし誰かが亡くなっていたらどうするつもりなのか
  • 時代が違うし教育カリキュラム自体おかしい

あなたはどう思いますか?
何を感じますか?

一般的に、人々がこのようなコメントをするのは理解できますが、どうにも短絡的だなぁと思うんです。
メディアの扇動による思考停止が作り出す‥典型的な現れだと感じるから。


ただしこの攻撃…
集団とはいってもね、ベギラゴンやマヒャド、イオナズンというような威力は望めません!相手に耐性があるとダメージは通らないから😁
⇒SNS等‥他人の声にオドオドしている人には効果絶大なので、そこはやはりご注意を✋

🏮わざわざ暑い日に体力測定を実施する必要があったのか?

最も多いこのコメントについて私見を述べますね☕

一見すると、もっともな声に思えるでしょう。しかしその裏にはいくつかの重要な視点が欠けているのです。


✅体力測定の「教育的意義」への無理解

体力測定は、単に「運動させた」という話じゃないんです。これは児童の体力や運動能力の発達状況を把握し、個々に応じた体育指導や健康教育に役立てるための、年間カリキュラムに組み込まれた重要な教育活動なんですよ。
学期ごとの成長を記録したり、全国的な傾向を分析したりする上でも不可欠なデータになる。
このコメントは、その教育的意義や目的を完全に無視し、「暑い」という一点だけで活動の価値を否定しているように見えます👀

学校現場の「制約」への無配慮

学校には、年間を通じて実施しなければならないカリキュラムや行事の計画が山ほどある。体力測定もその一つで、限られた時間の中で、全児童が公平に測定を受けられるように計画されているんです。「わざわざ暑い日に」と言いますが、代替日や涼しい時間帯への変更が、他の授業や行事、教員の配置、体育施設の使用状況など、様々な制約の中でいかに難しいかは、学校現場を知る人なら理解できるはずだ。
このコメントは、そうした現場の多大な努力や調整を想像することなく、結果論だけで安易に批判しているのです。

「リスクゼロ」を求める極端な思考

暑いから危険というメディアのメッセージに影響され、「少しでもリスクがある活動は全て中止すべき」という極端な「ゼロリスク思考」に陥っているように見えます。
現実的に、子どもの成長に必要な活動を全てリスク無しで行うことは不可能ですよ。
重要なのは、リスクをゼロにすることではなく、リスクを管理し、最小限に抑えながら活動を行うことなのに、その視点が抜け落ちている。

「熱中症報道」がもたらす思考停止の典型

このコメントは、まさに熱中症報道によって私たちの思考がいかに単純化されているかを示している。
 
暑い日体力測定という二つの情報を結びつけ、危険と決めつける。
(事実の断片化)

児童が搬送されたという結果に感情的に反応し、その背後にある教育的意義や現場の状況を冷静に考慮しない。
(感情の優位)

問題が起きたら、とりあえず学校が悪いと決めつけ‥批判する。
(安易な責任追及)


いかがでしょう?

あなたはどう思いますか?
何を感じますか?

私自身も教育には関わりがあるので、良し悪しについてはそれぞれの側面からの見解があり、教育カリキュラムから大元に至るまで‥何かと課題があるのは強く感じています。だからその中で右往左往させられる子供や教師は気の毒でなりません😢
今のままじゃ‥ろくでもないですからね💦

🏮中学・体育教師の声

『中学体育教師なので、基本‥教師の大変さはよくわかるけど、さすがにこの時期にシャトルランはまずい。 教師の判断力が低いと言わざるを得ない。』

これはとても興味深い声なので、緊急追記しました💨
「教育カリキュラムが問題・時代が違う」という関連した声も交え、同じように私見を述べます☕


教育カリキュラムと時代変化・世論の背景

まず「教育カリキュラムが問題・時代が違う」という意見が多いことについて。
これは世論が、直接的な批判から一歩引いて「問題の根源は構造にある」と主張しているように見えて、実はその本質は「責任の所在を外部に求める」思考に他ならないと感じます。

教育カリキュラムが問題?

これは学校現場の個々の判断ではなく、もっと大きなシステム、つまり文部科学省や教育委員会という「上」に責任を押し付けている。
自分たちがメディアに扇動された結果、過剰な反応をしているという自己認識はまるでなく、問題の解決を「誰か」に丸投げしている状態と言えます。
 
時代が違う?

この言葉は、昔と今の気温の違いや社会環境の変化を指摘しているように見えるのですが、同時に「昔はできたが今はできない」という諦めや、変化への適応能力の低下を暗に認めているようにも聞こえるんです。
これもまた、「だから仕方がない」と自己の思考停止や行動の変化を正当化する口実になりかねない。

これらの意見は、表面上は建設的に見えても、結局は「個人や現場の思考・判断」から責任を遠ざけようとする、現代社会に蔓延する責任転嫁の構造の一部なのだ😾


体育教師のコメントが持つ厄介な二重性

ここまでを踏まえた上で、改めて体育教師のコメントを見てみましょう。

中学体育教師なので、基本‥教師の大変さはよくわかるけど、さすがにこの時期にシャトルランはまずい。教師の判断力が低いと言わざるを得ない。

このコメントが特に厄介なのは、「現場への理解を示しつつ、最も厳しい場所からナイフを突き立てている」という二重性にあると私は感じるのです。

教師の大変さはわかる‥という免罪符

この前置きは、「自分は現場を知っている」という信頼性を与える同時に、その後の厳しい批判に対する免罪符として機能しているんです。
これにより、受け手は「現場の人間が言うのだから間違いない」と、さらにその批判を鵜呑みにしやすくなる。これは日本人が大好きな「見識者」や「専門家」の言葉が持つ俗な影響力そのものなんですよ💦

教師の判断力という批判が持つ破壊力

さすがにこの時期にシャトランはまずい
判断力が低いと言わざるを得ない

この部分は、先述の「教育カリキュラムが問題・時代が違う」という構造論や環境論を飛び越え、直接的に個人の「判断能力」を断罪している。
これは、まさに「リスクのあることはするな、でもやることはちゃんとやれ!」という矛盾した世論の最たるもの。教育委員会が「中止レベルではなかった」と発表しているにもかかわらず、だ。

メディア教に染まった専門家の悲劇

この教師のコメントは、メディアが作り出した危険という強固なイメージが、その分野の「専門家」にまで深く浸透してしまっている悲劇を示しているように感じるんです。
本当に現場の人間であれば、年間計画の制約、体力テストの目的、他の教員の協力、あるいは当日の生徒たちの体調を見ながらの柔軟な判断など、多くの複雑な要素を考慮するはずです。
しかしこのコメントは、そうした多角的な視点を失い、メディアが煽る危険という画一的な基準でしか判断できていないように見えるのです。

この教師が純粋に生徒の安全を願っての発言だとしても、その思考プロセスは結果として世論の扇動に加担し、学校現場をさらに萎縮させる力を持ってしまう。
一方で、
もしかするとこの教師自身も、“過剰な注意喚起の空気”に晒される日々の中で、知らず知らずのうちに“安全第一”という絶対正義に縛られてしまっているのかもしれない。

これは、私が危惧する「情けない日本人社会」の一端を、皮肉にも「内部」から示していると言えるだろうと😒


この体育教師のコメントは、
メディアの扇動が、いかに社会全体に、そして時には専門家とされる立場にまで深く浸透し、冷静な判断力を奪っているかを語るうえで、非常に強力な具体例になるはずです💨

いかがでしょう?
私として批判的な視点で述べてはいますが、心からの問題提起ゆえです👼

あなたはどう思いますか?
何を感じますか?


🎭扇動された国民感情の末路



今話では熱中症関連で児童が搬送された事例を引用しましたが、これ自体は正直どうでもいいのです。(この事例そのものの是非ではなく、それに対する“社会の反応”こそが私の問題意識)
日本人は情報に踊らされ、自分自身で考えることもせず、テレビでこう言っている・権威者もこう言ってる、こういうものを後ろ盾にして自分の言葉のように主張していることに本当の危険を感じます。しかも匿名という安全地帯から限定で😓

🏮無責任社会への危惧

今話で取り上げた事例は、現代社会が抱える最も深刻な病巣の一つだということ。
それは、「共感性の欠如」と「思考の停止」が結びついた、非常に危険な状態だと私は思う。

1. 共感性の欠如と「安全地帯からの石投げ」

彼らは、現場の苦労や葛藤を想像しようとしない。学校の先生が、子供たちの成長のためにどれだけ心を砕き、限られたリソースの中で最善を尽くそうとしているか。年間計画、施設の制約、個々の児童の状況、そして刻一刻と変わる天候…
そうした複雑な要素の中で、たった一つの判断を下すことの重みを全く理解していない。

彼らは、自分自身がその状況に置かれるリスクがない「安全地帯」から、一方的に石を投げつける。もし自分が当事者だったら、果たして同じような安易な批判ができるだろうか? この想像力の欠如、共感性の欠如こそが、彼らの言葉が持つ最も大きな問題点だと感じます。

2. 思考の停止と「結果論」による断罪

彼らの批判は、常に「結果論」に基づいている。何か問題が起きた時にだけ、「ほら見たことか」「だから言っただろう」と後出しジャンケンで非難する。そしてメディアが作り出す「危険」という短絡的な物語に、何の疑問も持たずに飛びつき、物事の複雑な背景を深く考えることを放棄している。

「なぜその判断に至ったのか?」
「他に選択肢はなかったのか?」
「もし逆の判断をしていたら、どんなリスクがあったのか?」

といった多角的な思考プロセスが完全に抜け落ちているんです。
彼らにとって大切なのは、真実や建設的な解決策ではなく、「誰かを悪者にすること」で得られる、一時的な優越感や安心感でしかないように見える。

3. 無限の責任追及と社会の萎縮

彼らの批判は、決して建設的な解決には繋がらない。むしろ「完璧なゼロリスク」を追求し、少しでも問題が起きれば「責任を負わせる」という姿勢は、社会全体を委縮させてしまうんですよ。

教師たちは、子供たちの成長のために様々な活動をさせたい。でも、彼らのような批判を恐れて、最終的には「何もしない」という最も安全な選択肢を選ばざるを得なくなる。それは子供たちから貴重な経験や挑戦の機会を奪うだけでなく、社会全体の活力と適応力を失わせることに繋がるのです。

彼らは、自分が批判することで、社会全体がどのように窮屈になり、不自由にさせられているのかを理解していない。あるいは、理解しようともしない。


私はコロナ騒動の時にぼやけていた日本人の陰湿陰険な性(サガ)を嫌というほど再確認させられましたが、
やはりいつまでも変わらないのだな‥と思わざるを得ないこの窮屈で歪んだ社会に、本当の危険を感じるのであります。


あなたも、知らず知らずのうちにその一員になっていないだろうか?
それともあなたは、自分でしっかり考え、責任ある行動をしているだろうか?


日本は私たちの国です。
一緒に考えていきましょう😊👍



 Meister CZ
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